九州移住日記…途中で放置してました。
しかも、まだ移住する前に!!やっとこさ、続きを書きます〜!!
とはいえかなり放置していたので、これまでを振り返ると…
・以前はもうれつ仕事人間だったこと
・子育てだけしている自分を認められず、産後すぐ、英語の勉強したり
・本音で話せる人たちと出会って、自分に向き合ったら…「あれ会社辞めよう」と辞めたこと
・一人で子育てを抱え込んでることがバカらしくなって、夫の両親と同居をすることを決めたこと
↓そして
今回は、夫の両親との期間限定同居について、書きます。
移住関係ないじゃん!と思うかもしれませんが、私たち家族が「自分の求める環境のために、住む場所、住まい方を変える」という選択をした第一歩で、これがすっごく良かったので書こうと思います。
嫁姑の同居…うまくいくの?
夫の両親と同居したのは、長女のゆきがまだ1歳の時。
私が「ワンオペ育児なんて無理だ!」と思い、ちょうど隣の駅に住んでいる、まさしさんの両親と住んじゃえ!と思いついたのです。
結果的に、この同居は大正解でした。
なにがよかったって、子どもに対しても、夫のまさしさんに対しても、笑顔でいられる時間が格段に増えた!!
ただ、世のなかには親との同居でうまくいかず、悩んでいる人も多いと思います。
私の同居の場合、なにがよかったか…
「最長2年間の期間限定同居だった」
これが、もうでかいです。
私たち夫婦にとっては、一番、子育てで手がかかる期間だけ、手伝ってもらう。
お義父さんお義母さんにとっては、あっという間に過ぎてしまうかけがえのない幼児期を見ることができる。
スーパーwinwinなわけです。
ここを、両者ともしっかり認識していたので、ちょっとの不便や、ちょっとの齟齬は「まぁたった2年だしいっか〜」とすませることができました。
役割分担は明確
私は料理が好きで、ばあばは嫌い。
ばあばは洗濯が好きで、私は苦手。
と家事に関する相性もよかったので、分業は明確でした。
そして、教育の方針についても、一生子どもと長く向き合うのは私たち夫婦だということを、じいじもばあばもわかってくれていて、全面的に、私たちの意向を優先してくれていたので、やりやすかったですね。
狭い部屋も、じいじとのやりとりも、思い返せば全部ネタ
多分、2年限定じゃなければ、気になることもあったと思います。
例えば、じいじ。
じいじは、毎晩、ビールを500ml缶6本くらい飲んで、深夜になるともうベロンベロンになります。
ふだんは無口なんですが、ベロンベロンバージョンになると、いつも同じ話をず〜っとしてくるんですよね。
それが、子どもの頃に、田舎に遊びに行った時におばあちゃんが作ってくれた、こだわりのおはぎを、お姉ちゃんに全部食べられちゃった話だっり。
「あんこが外についてるんじゃなくて、中に入ってるおはぎが好きで、それはなかなかないのに、あいつが全部!!!!!(怒)」みたいな。
マジで、食べ物の恨みってこえ〜と思う雨くらい、顔を真っ赤にして怒りながら話す(笑)
自分が自由に決めたかったことを、おかあさんがやらせてくれなかった話だったり。
やっと寝かしつけ終わった〜!って起きてきたら、その話が始まったりして、でも本気で話してるし、拒否れない〜〜〜!!
映画でも見たいんだけどなぁ〜、この話いつまで続くんだろう…なんて思うことがあったり。
子作りのお願いをされた夜
ある夜は…
寝ようとした私を引き止めるじいじ。
「ゆきは、一人でさびしいと思う…」とじいじ。
ん?何のことだ?
じいじは「もう一人…」と一本指を立てる。
ああ!子作りのことか!!
「私ももう一人欲しいと思ってるんですよ!」
というと
「どうか、どうかもう一人孫をお願いします!」と拝まれ、私も
「がんばります!!がんばります!」とガッツポーズしながら寝室に行くという(笑)
あまりに印象的で、絵に描いてしまいました。
じいじとトイレで何度も鉢合わせ
あと、なぜかじいじはトイレにもお風呂にも鍵をかけず、しかも電気もつけないんですよね。
だから、いないと思って扉を開けると、暗闇でちょうどパンツを履こうとしているじいじがいたりして。
しかも、私とじいじは運命なんじゃないかってくらい、鉢合わせるんですよね〜!
マジで鍵かけろよ!電気つけろよ!!と心で叫んだことを覚えてますね〜。
じいじを語り始めると止まらないので、止まらないついでにもう一つ。
バスタオル一枚で、礼儀正しい「おやすみなさい」
律儀なじいじは必ず、寝る前の挨拶をしてくれるんですが、風呂上がりタオル一枚を腰に巻いた状態で、リビングに現れ、おやすみなさいをしていくんですよね。
でも、じいじは48度のお湯(電気を消して)に長時間つかり、体が真っ赤で、しかもすね毛は高温で全部溶けたんじゃないかという感じのスベスベ感。
どこ見ればいいね〜〜ん!!!と毎夜、気まずくなってました(笑)
寝る部屋も、せまかった〜
親と同居というと「2世帯ですか?」とか「広い家なんでしょうね?」と言われることもあったんですが、本当に普通に、まさしさんの家族が、家族4人暮らしに合うように建てた家なので、決して、広くはなく…もうぴっちぴちでした。
まさしさんが使っていた、6畳の部屋が、私たち三人のスペース。
自分たちの服も、娘のゆきのものも結構あったので、布団をひくと歩くところはまさにない!
寝かしつけが終わった後、リビングルームにはじいじばあばがいるので、一人で動画を見たいなぁなんて時は、ゆきの寝る横でイヤホンで見るんですが。
画面のあかりでゆきが起きたら嫌だと思い、カーテンの中に入って逃げ恥をみていたら、ちょうどそこに加湿器の湯気が入り込んでいてすごい湿度になっていて。あ〜終わった〜おもしろかった〜と現実に戻ると、背中もわきもびっしょびしょになっていて、これは興奮なのか!?湿度なのか???と驚いたこともありました。なんの話やこれ(笑)
まあ、一人でリラックスできる環境は整ってなかったですね。
それよりも、子育てと家事の人手が増えるメリットは半端ない
長く住んでたら、自分が自由に過ごせる空間がないとか、じいじがトイレに鍵をかけてくれないとか、昔ケンカした話を繰り返し繰り返しされるとか、本気でムカついてきたりもするのでしょうが、限定2年ならばなんとかなります。
それよりも、ごはんを作る時、身支度をする時、ばあばが全力でゆきと遊んでくれるのが、ありがたかった。
ままごとなんかはもちろん、絵本好きなゆきに、10冊も20冊も読んでくれて、喉がガラガラってこともありました。
じいじは、子どもと遊ぶのが得意じゃないんですが…
孫をよろこばそうと一生懸命絵を練習したり。
いないいないばあをするとよろこぶ!と思い、全力で続けたり。
孫が怪我した時には、全力で痛みを取ってくれたり。
不器用ながらも、全力で、孫と向き合ってくれました。
家族だから「一緒に暮らす」は逆にきつい?
多分、私たちが、あんなふうに同居を不満なく過ごせたのは、ともに過ごすメリットを認識して、選択したからだと思います。
「家族だから一緒に暮らす」とか、「ずっと一緒」とかだときつくなってた気がします。
助け合うために共に暮らす。
これをわかっていたら、すべては求めないし、何かあってもうまくいくように話し合ったり、勝手に解釈して解決したりできるんじゃないかと思うのです。
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こんな感じで暮らし、1年と少しが経つ頃に。
夫のまさしさんの爆弾発言。
「会社辞めてきた」の日がやってくるのです。
この日を機に、私たちは、またまた自由に、生きる場所、やることを選び始めるのです。