「会社をやめたい」と思っても、実行するひともいれば、いないひともいます。
私は、産後の育休ののち、そのまま会社に復帰することなく会社をやめてしまいました。
育休手当ももらっていたのに、ほんとにやめるの?一旦は、働いてみてから考えたら?
と、いう心の声はもちろんありました。が、躊躇の心と向き合うほど、結局「やめたほうがいいなー」となって、最後は「しゃらくせぇ!やめちまえ!えいやー!」とジャンプした感じですね。
まあ、最終的には勢いでしたが、その前の、ぼんやりした葛藤に意味があったような気がします。
当時は、躊躇や葛藤をしっかり言葉にできていなかったけれど、この三点につきます。
- やめて、キャリア的に大丈夫?
- お金、大丈夫?
- 会社に不義理だよね。
振り返りたいと思います。
1 やめて、キャリア的に大丈夫?
キャリアビションをちゃんと描いたうえで、やめる覚悟をしてるの?と指摘されたことがありました。
「今の仕事、向いてるって思うんでしょ。続けないともったいないよ。
仕事と子育ての両立で大変なのは、子どもが小学校に入るまでだけだから。その6年をかけぬけたら、もう、子どもは手を離れてしまう。
もし、その6年が大変だって会社をやめちゃったら、もう正社員での職なんてなかなか見つからないし、キャリア的には不利なだけ。今やめたら、楽かもしれないし、子どもといれてうれしいかもしれないけど、子どもが手を離れたとき、何もない自分がそこにいたらどうだろう。
人生は長いんだから、長期的に考えた方がいい。今はなんとかがんばって、仕事を続けておいた方がいいと思う」
この方が言っていたことは、そう特別なものではないと思います。ネットや物語のなかでも、これまで私が触れたことがある意見。
しっかり言語化できてはいなかったけれど、このスタンスからの不安は私の中にすでにあったものでした。言葉にして伝えてもらえたことで、はっきりと見つめることができました。
結果的に、この意見をきいて、さらに私のやめる確信は深まりました。
未来のためじゃない。今目の前の日々のためにかけぬけたい
私は、こどもが0歳から6歳の6年間を、キャリア的に充実した未来を得るために「かけぬける」ように過ごしたくない、と思ったのです。かけぬけるのはいいとしても、それは、未来のためじゃない。今、目の前の日々のためでいたい。
そもそも、人生は長いかどうかわからない。
私の母親は、私が15歳の時に死んでいて。癌だってわかって、入院生活がはじまったのは、私が12歳の時。母との日常は12年間で終わってしまった。
たった6年をかけぬける?6年は決して短くない。その2倍の時しか私は母とともに過ごせなかったけれど、その期間で私はつくられた。
だから、子どもが小さい時の6年間は、未来を中心に逆算して選択するような軽い時ではなく、その瞬間のために選ぶべき貴重なときだと思う。
その瞬間、瞬間のために今を選択したら、子どもが手を離れた時に「なにもない自分」でいるなんてことにはきっとならない。
2 お金、大丈夫?
お金に関しては、なんとかなりそうという見込みが立っていました。
以前の記事で書いたように、私は、よなよなサイトを作っていたのですが、そのサイトを通してのアフィリエイト収入が伸びてきていました。
波はありましたが、月々15万円から25万円くらいの収入に。
まさしさんの給料と合わせれば、まあ、なんとか生活していけるだろうと。もっとお金が必要ならば、サイトを改善してもっと稼げるように工夫していけばいい。
また書きますが、まさしさんのお父さんお母さんとの同居も決定していて、生活の基本コストもさがっていたのも、安心材料でした。
3 会社に不義理だよね
これ、一般的にどこまで気にするものなのでしょうか。
私は、勤めていたころ、会社大好きだったし、思いっきり、会社側に立って考えるタイプだったので、育休をとって、育休手当だけもらってそのままかえってこないなんて、信じられない!と思っていました。
だから、もしも、私がそのままやめようものなら、当然同じ批判を受けるだろうし、受けて当然だろうと考えていました。
シンプルに言うと「やめるなんて言って、みんなになんて思われるだろう。上司や社長たちに、なんてやつだ!と嫌な顔されるだろう」というのが怖かったんですよねー。
夫のまさしさんも同じ会社に勤めていて、上司や幹部から「ちゃんと、奥さんを復帰させろよー」とちょくちょく言われていたらしく。
いったん復帰して、それからやめるシナリオも
私がやめるか迷いはじめたころは「まじで!?いったんは復帰してよー!」とよく言っていたまさしさん。辞める私は、もうあれこれ直接言われることはないだろうけど、残るまさしさんに迷惑をかけることになる、と思って、気になっていました。
だから、プランとしてはこんなことも考えました。『いったん復帰して、やっぱり無理だったからやめますごめんなさい作戦』。
「復帰はしたけど、こどもが病気になったり、こっちの体力的にもきびしくてどうしても無理で、やめます。私もこどもも、できるとこまでやりました、ごめんなさい。できることなら続けたかったけれど、無理なんです。(わたし、悪くないよね!?お願いだから、せめないでね)」
って魂胆です。
(こどもが病気になるってのは、よく聞くあるあるからの想定)
うぇぇぇぇぇーーーーー。めんどくせーーー!!!
一度復帰して、いろんな手続き踏んで、ポジション用意してもらって、働きはじめて、その後、やっぱり無理だったってやめる。
これ、うけいれる側的に、ただただめんどくさいですよね。むしろ、そんな魂胆なら、はじめからやめてくれよ!って話ですよね
「いったんもどる」という選択肢は、その後も極力続ける前提ならばいいけれど、私のように、かなり高い確率でやめようと思っているなら、むしろ迷惑でしかない。
自分の現実を大事にしよう
しかも、今考えると。
別に、会社のひとたちに「え!?あいつ、復帰しないの?まじで?めいわくーー!!」と思われたとして、それがどうした?ってとこですよね。
そりゃあ、会社の人は言いますよね。もどってこいやー!って。お金払ってんだからって。
でも、ひとの心は変わるし、状況も変わる。
ひとの数だけ、それぞれの都合がある。人類70億人いたら、70億通りの現実があるわけです。その利害がいちいち合致することなんて、あるわけがない。
誰かのためになると思ってしたことでも、別の誰かの迷惑になることだってある。
私の人生のための最善の選択が、会社にとっては「おいこらー」て選択になることもある。もう、それは仕方がない。
もうやめようとしている組織のひとたちにまで、いい顔しようってのが、無理がある。無理やり批判をされないように、現実をねじ曲げて『いったん復帰して、やっぱり無理だったからやめますごめんなさい作戦』だなんて、一番めいわくでしょー。
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振り返って書くと、理論整然と考えていたかのようになってしまいました。
が、当時はもっと、もやもや、もんもんとしてました。木の葉のように、新しい不安がひらひら落ちてくる、そんな感じでした。
「ほんとに、大丈夫かな」
「ああ、やめるって言いたくないな」
「節約とか、苦手だしな」
でも、まあ、なんとなく、答えの輪郭が見えてきて。その時には、えいやー!ですね。
「やっぱり、やめる!」とまさしさんに伝え、会社に連絡をしました。
数日後には退社が決まりました。
すっきり。
私の会社人間の日々が、正式に、終わりました。
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そのあと。
自由になった私。
住む場所、ここでいいのかな?という疑問がわいてきたのです。
次からは、やっと移住の話題に移っていきます。