なぜいま、”タニン”と暮らすのか。池見優が語る。

シェアハウスでの暮らしってどうなの?ってことを、今、暮らしをともにする、”おんがく食堂 歩”の店主であり、ミュージシャンでもある池見優くんが書いてくれました。

なぜいま、”タニン”と暮らすのか。

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1.シェアハウスIKIでの暮らし

2.新たなコミュニティを作ること

3.「シェアハウス・・・大変じゃない!?」という病理

4.なぜ今、他人と暮らすのか。

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1.シェアハウスIKIでの暮らし

2019年元旦、世の中は”平成最後の年”になった。

“平成最初の年”に生まれた僕は、一年前から小さな町で飲食店を営んでいる。

一つ年下の妻と、一歳と四歳になる息子たちと暮らす、とても素朴だけれど、どこか丁寧な満足のある日々だった。

1月7日、その日は月曜日だった。

話はちょうどその2週間前の、月曜日。2018年の12月24日に還る。

その日、小さなクリスマスパーティを開いた僕達は、なんとなく一緒に暮らすことにした。

本当に”なんとなく”、同い年の娘たち二人を育てる市原家と、共同生活をすることになった。

同じ自然保育(詳しくは後日また・・・)の保育園に通うことや、オーガニックな食べ物への嗜好、何日かに一度は家族で温泉へ通うというライフスタイルが合致したこともある。

とにかく僕らは、”家族8人”で一緒に暮らすことにした。

暮らしは穏やかで、しようもない笑いと実りある(?)対話に満ちている、と今のところ感じる。

ちょうど一ヶ月が過ぎる今日、こんな日々のことを少し文章にしてみようと思う。

2.新たなコミュニティを作ること

僕はそもそも、「コミュニティをつくるため」にこの町を訪れた。

それは小さなコミューンであり、もしかしたらエコビレッジであり、ただの家族でもよかったのかもしれない。

そして僕の最初の血縁以外の家族との共同生活は、唐突に”ひょんなこと”から始まった。

婚活/ライフスタイル事業を営む「合同会社fufu」の立ち上げるシェアハウス、”IKI”という場所。

全くどんな場所になるかも想像せず、「なにか面白そうだし、たぶん役にたつだろう。」という軽い気持ちで、今日も明日も暮らしている。

でもこの場所が最初に掲げた「くらし方の実験を」というコンセプトには物凄く共感した。

市原史帆さんいわく、

/ 息をするような、ふつうのことを書く場所にしたいと思って、この名前をつけました。

「粋」や「行」といった、私たちが好きな事柄と音も重なるし、なおいいと。 /

とのこと。ダブルミーニング的なゲロダサさは置いておくとしても、なんだか”イキ”な場所な感じがした。

いま思ってみれば、僕達だって”実験”のような毎日を望んでいたのかもしれないし、そもそもこれまでの4年間だって、実験的であり続けた日々だったような気もする。

それでもとにかく藪から棒に、この生活は幕を開けた。

3.「シェアハウス・・・大変じゃない!?」という病理

シェアハウスに暮らし始めたと話すと、「シェアハウス・・・他人と一緒に暮らすなんて大変じゃない!?」という言葉をこの一ヶ月、幾度となく投げ掛けられた。

その度に返すのは「楽なことの方が多いですよー。」という返答。

子育て、水汲みや炊事、掃除、温泉、そして毎晩のお酒。

どれ一つ取ってみても、”楽”なことが増えた。

そもそも面倒臭がりの僕らにとっては「誰かのためにやる」という行為自体が、少しだけハードルを下げてくれているようにも思う。

実際、仕事柄か家では半年に一回しか料理をしなかった僕は、この一ヶ月で2度ほど朝から休みの日のキッチンに立って料理をしている。

たぶん僕らは個々人が少しずつ、この新しい生活に対して”オーバーアチーブ”しているのではないだろうか。

(◆オーバーアチーブメントについて / 『アカデミアと親密性』2010-04-01 jeudi 内田樹の研究室より)

http://blog.tatsuru.com/2010/04/01_1107.html

つまりは、少しずつ自分の許容量を超えた潜在的な能力を発揮して、「お互いが心地よく生活すること」へのコミットメントを、ほんの僅かながら高めているように感じている。

より簡潔に表すならば、”なんか頑張れちゃう”きっかけになる力が、この生活が秘めているように思えてならない。

そんなわけで、「シェアハウスなんて・・・大変(に決まってる)でしょ!?」の問いについては、「いいえ、とても楽です。」という答えがどうしても、口を衝いて出てきてしまうのです。

むしろ誰かと暮らすことを本能的に拒否し始めている”核家族地獄”にこそ、現代社会の”病理”を感じてしまうのは、僕だけでしょうか?

4.なぜ今、他人と暮らすのか。

そして本題、「なぜいま、”タニン”と暮らすのか。」という話。

あえて一言で答えるならば、「未知の自分と出会う旅」が他人との生活の中にあるということ。

そもそも人間が、「誰かの役に立ちたい」という欲求を根元に抱えていて、仮にそれが満たされないことで鬱病や統合失調が現れているのだとしたら。

僕らは「一緒に暮らすこと」を通して、誰だって誰かの役に立つかもしれないし、誰だって誰にでも迷惑をかけて生きていけることを、この日常を通して再確認しているのかもしれない。

こうして積み立てた僕らの日々が、誰かの”生活の柄”になりますように。

(生活の柄 / 高田 渡 : 1988テレ朝プレステージより)

兎にも角にも、お父さん、お母さん。

僕達はとても元気に、楽しく暮らしています。

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