こんにちは。気分に左右され、やる気の波があり、タスクをこなせない代表をさせていただいております、暮らす実験室 IKIの史帆です。
昔から…
熱しやすく、冷めやすく。
自分からはやりたがるのに、義務になると逃げ出したくなり。
期限やスケジュールが決まると、もうやりたくなくなってしまう。
構想は大好きだけど、やり遂げるのが苦手。
(だから、スケジュールやタスク管理ができる夫まさしに出会えたことで、私はなんとか生きていけている)
そんな史帆でございます。
このブログにも、IKIのインスタやfacebookなどの更新を見ても、気分の波は一目瞭然。やる気溢れる時には、毎日更新、すごい時は2更新とかしちゃう癖に、この数ヶ月はぱたっと止まる。
あんまり更新してないのに、脈略なくかぼす胡椒のレシピをアップしたりして。それより人が増えてきて、セカンドステージに移ろうとしてるシェアハウスの現状を報告しろよ、と自分でも思う。でも、かぼす胡椒のレシピを書きたいから書いちゃった。
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あ〜あ。私は、どうしてこうなんだろう。と思いつつ、一度やめると、もう一度始めるのがついつい億劫で、ま〜〜いいかと思うことからも避け、放置してしまうのでございます。
そんな自分に落ち込むことも多いのですが、先週、「モモ」で描かれた時間観の解説を聞いて、案外私くらい、気分に流された方が、むしろ「生きた時間」を生きれてるんじゃない!?まあ〜いいか〜と思えた、ということを書きたいと思います。
モモに描かれる「死んだ時間」と「生きた時間」
私はNHKの100分de名著という番組が好きで、この番組は映像を見ずとも音だけでも楽しめるので、よく「ながら聴き」をしています。
100分de名著は1回25分×4回の、全100分で世界中の歴史に残る名著を解説するという番組。普段は読み切れないような長い、難しい本も、分かりやすい解説で流れと要点を理解、噛み砕いてメッセージを伝えてくれるというおいしい番組。
ちょうど先週「モモ」の回を聞いたんです。
小さい頃、映画は繰り返し、繰り返し見たのですが、実は、小説では読んだことがありませんでした。
そこで解説されていた「モモ」で描かれる「死んだ時間」「生きた時間」がおもしろかった!!!
「時間どろぼう」をする灰色の男たち
「モモ」の中に登場する灰色の男たち。彼らは、「時間を貯蓄銀行に貯めると命が倍になる」と人々を追い立て時間を節約させ、余った時間を盗んでいきます。モモはこの奪われた時間を取り返すために奮闘するというストーリー。
灰色の男たちは、奪った時間を葉巻に包んで燃やし、完全に「死んだ時間」にして摂取する。時間の葉巻を吸い続けなければ彼らは死んでしまう…。でも、葉巻はどうあがいても一時で吸い終わるので、満たされることなく、灰色の男たちは時間を盗み続ける。
モモが描く時間…何を表している?
まあ、実際小説を読んでないので、あくまで100分de名著の解説によるとなのですが(笑)
もともと人々が過ごしていた時間は「生きた時間」。
灰色の男たちが時間を節約しろ!と効率や能率によって追い立てて、貯蓄銀行に預けられ、奪われた時間は「死んだ時間」と表現される。
「死んだ時間」は、現代に生きる人々の時間の過ごし方を象徴している。効率、能率、生産性に換算され、数値化された時間に囚われた人々の生き方を表している…、的な解説がされていました。
「今このとき」を自分自身で味わうのではなく、自分の時間の過ごし方を社会的な基準によって評価してしまう。
例えば、この時間でどのくらい稼いでいるか、とか。どのくらい生産しているか、とか。どのくらいみんなに羨まれるような‥SNSでいいねを稼げる時間を過ごしているか、とか。
客観的評価や基準に合わせて時間を過ごしていて、そこに徐々に、生身の感情が伴わなくなっていく‥。
具体的にいうと、やりたいかは別にして、「やるべき」とされたことをやり続けたり。楽しいかどうかは別にして、「楽しそう」で「ばえる」ことをし続けたり。そんなことなんだと思います。
なんだか現代社会に生きていれば響かない人がいないんじゃない?という身につまされる設定なのです。
義務として、スケジュールの一環で、こなしてやった行為って「モモ的」には「死んだ時間」?
そこで思った。
私自身も「効率、能率、生産性」に換算して、より高い数値を出す時間を過ごせた時に、自分自身を評価していたかもしれない。
私が求めた私の姿は、「効率、能率、生産性」が高い自分…。でもそれって、「効率、能率、生産性」だけを追求して、そこに心や欲求が伴わなければ、モモの中で「死んだ時間」だと表現されるような時間なのかもしれない。
もちろん「効率、能率、生産性」が高い時間を過ごしても、それをやりたいと思い、瞬間を味わえていれば「モモ的」にも「生きた時間」とされたと思うのですが、義務として、スケジュールの一環で、心や欲求じゃなく、こなしてやった行為って「モモ的」には「死んだ時間」や「灰色の男に付け入られた時間」と表現されるのかも。
(小説読んでから書けよ!と言われる感想かもしれませんが…)
気分がのらないとできない…私は自分の気持ちとともに生きれてる!?
私は「気分がのらないとできない」という自分のムラが大嫌いで、大きな欠点だと思ってました。
のらない時は、一日中ゴロゴロしたり。携帯も触りたくなくて、充電さえしなかったり。
でも、考えてみると、やってる時は基本的に「気分がのってる」んですよね。
気分がのり始めると止まらなくて、いつまでだってできる。シェアハウスのDIYもハマってハマって、寝ても冷めても考えて、朝5時に起きてペンキ塗ったりしてたなぁ。
そんな私は、もしかしたら、気持ちと行為が合致した、「生きた時間」を生きれているのかも!と、モモの解説を聞いて思ったのです。
何かをしたいと思ったら「やるべきこと」を「続ける」ことも必要だけど
まあ、こんなことを書きながらも、何かをしたいと思ったら「やるべきこと」を「続ける」ことも必要だよなぁとも思っています。
そのために鍵になるのはきっと仲間なんだろうな。
やりたいことを共有する仲間がいれば、やる気を与え合えるだろうし、やるべきことの分担もできる。
実際、夫のまさしさんと一緒に仕事を始めてから、ずいぶん私はいろんなことができるようになったし、前住人のなおちゃんと仕事をしてた時も、かなりやる気が維持できた。
(「なおちゃん、これやったよ!」と報告すると、「よくやりましたね!」と言ってくれるだけでやる気が出るという単純な私)
「気持ちの波に関わらずやりきる強さ」は諦める
やっと暮らす実験室 IKIも満室になって、でも、今後もまだまだ野望があります。
もっと私たち家も、住人、関わる人にとって、暮らしを豊かにする場づくりをしていきたい。
そのために「気持ちの波に関わらずやりきる強さ」が必要だと思ってたけど、諦めることとします。
そうじゃなく、やりたいことを一緒に膨らませて、刺激を与えあって、ともにやる。落ち込みながらも、やる気を与えあえる。そんな仲間、つながりを、大切にしよう。
波がありながらも、やりたいことはきっと実現できていくでしょう。いきますように。