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人生で何がやりたいと聞かれたら、結局は「暮らしとつながり」がやりたい…でもそれって主婦なのか?

昨日、シェアハウス前のコーヒーやさんで若き友人そうすけくんに偶然会って、話していて、おもしろい話を聞きました。

「うちのばあちゃん、めちゃめちゃ多趣味だったんですよ。お茶もするし、水墨画とか絵も描くし、着物もお茶も、短歌も読んで、本も2冊くらい出して」

(確かもっと趣味を上げてたけどこのくらいしか覚えてない)

年とってもうすぐ死ぬかもしれないって時に言ったんですよね。『私は結局なにがしたいのかわからん』って。あれだけいろいろやってきて、長く生きてきたのに。でも、そう言いながら、俳句を書いてるんです。なにそれ〜って思った

確か「人の揺らぎ」について話していた流れでこの話をしてくれた気がします。

ほんと、なにそれ〜と思ったけど、その話が私はなんだかとても好きだったし、印象に残ったんです。

▼そうすけくん

実際、ばあちゃんの短歌は素人目から見ても素晴らしく。よく分からない言葉もあるけれどなんかおもしろいと思わされ、たぶんえらい人にも絶賛されているのでした。

笹井水輪歌集『ふうせんかずら』跋文

印象に残った理由を敢えて分解すると…

ひとつは、ばあちゃんの欲求のあり方は、人間の本質をついてるんじゃないかと思ったこと。人間は作り上げた瞬間や、作り上げたものを見る喜びよりも、「なにかを作りたい!」と思い手をつけるあたりに一番の興奮を感じる存在なんじゃないかと思うんですよね。

何かが生まれる可能性を想像すること自体が、一番のエンターテイメントだっていう

ばあちゃんにとって「なにを作るか」よりも、「なにかを作れるかもしれない」と思い、手を動かすことがエンターテイメントだったのかもしれないな、と。同じテーマの中に新しいものやチャレンジを発見して追求するタイプもいれば、ばあちゃんのようにお茶、短歌とテーマを変えて手をつけたくなる人もいる。

そして、印象に残ったもうひとつの理由は「私が、人生で結局やりたいことは?」と自問するきっかけになったから。

そしてその答えはすぐに降ってきて、私は「暮らしとつながりがしたい」と思った

「暮らしとつながりがしたい」というのは、専業主婦じゃない

ただ「暮らしとつながりがしたい」ってどういうことなのか、自分でもよくわからないところがあった。そんなんでいいんだろうか?ともやもやした。それで、昨日、今日とぼんやり考えてたんですよね。

つながりっていうと、主に家族、特に子どもとのやりとりのことで、それから身近なコミュニティのことを指してます。

人とつながり、コミュニケーションを取りながら、子育てをして、日々暮らすこと。これこそ、私にとって人生のよろこびであり、幸福だなぁとは確かに思うんです

大きな成功や表彰?より、通じ合う人と共に過ごすことにこそ幸福があると心から思う

でも、それだけで満足できるの?という心の声が同時に聞こえてくるんですよね。

私が求めてるのって、専業主婦的な、家事・育児なのか?それでいいのか?

なんだかちょっとちがう気がするぞ、と。

じゃあ、なにがあれば私は満足するのか?

でてきたキーワードは「仕事」と「社会貢献」でした。

生きる糧は、誰か任せにせずに、自分自身で産み出したい。お金はある適度稼ぎたい。その点で、自立したい。

そして、この世界で生きていて、この世界に問題が山積みだってことを知っているならば、それに対して何かアクションを起こしたい。少しでもましな世界をつくるために貢献したい、貢献せねば、とどこか思っている。

(あれ、これは本当にやりたいのか、やらなければならないと思わされているのか、自分でもよくわからないけれど…でも、手放してしまった自分に満足できないと思う)

やりたいことが多くなって、こぼれ落ちて、理想に目をぶり現実に追われる自分が目に見える

「暮らしとつながり」が大事だけど「仕事」も「社会貢献」もしたい。

全部を追求しようと思うと‥キャパオーバーになることはまちがいない。

これまでもそうだった。仕事に意識が向くと、子どもや家事がどこか足を引っ張る存在に感じたり。

「今の暮らしが大事」だとのんびりしてたら、繋がる世界にある数々の問題を忘れて自己中心的に喜びを感じてる自分に罪悪感を感じたり。

実際、1人目のゆきが生まれた時、家事と子育てだけをしている自分に満足できず、勉強や仕事をしたいと強く求めてた

できること、できないこと。やること、やらないことに、どうやって線を引くか。なににどうやって手をつけていけば、いいんだろう。

と思った時に、ひらめいた。

私のしあわせが「暮らしとつながり」にあるのであれば、「仕事」と「社会貢献」もそこに巻き込んでしまえばいいわけだ。

ちょうど仕事は「シェアハウス運営」

私の今のメインの仕事は「シェアハウス作りと運営」だから、「暮らしとつながり」を大事にすることが、そのまま仕事になってもいる。

今後、やりたいことも「暮らしの道具」を売るとかだから、「暮らし」の延長線上にあるし、今後も延長線上からそれてしまわないようにしよう。

「暮らしの場」を作り、育てること。これが私の仕事でもある‥天職やないか!

「社会貢献」の社会って、どこやねん。そして誰のために?

じゃあ、「社会貢献」も「暮らしとつながり」に巻き込むっていうと、どういうことなのか。

それは自分の「暮らしとつながり」を豊かにする、自分のための「社会貢献」をすることなんじゃないかと。

結局、誰かのために、だったり、遠いどこかの社会や世界のためにだったりの貢献って、私には続かない。

もし続いたとしたら、そうやって遠い世界の誰かのために何かを成し遂げる自分を認めて、褒めて称えて欲しいという、英雄願望からしか行えない気がする。そんな英雄願望は、力がある人にはモチベーションになるかもしれないけれど、私には、私を苦しめるものにしかならないと気付いてきた。

私が考える、私サイズの「社会貢献」って、自分の暮らしの延長線上にある社会を、よりよく‥いや、少しでも悪くしないための選択を意識的に行っていく。それは、誰かのためじゃなく、自分のために。

つながりの先にある自然や人の今と未来を想像して、より良いと思う方向に近づくために。

おおお。なんだか、かっこよすぎる感じになってきてしまいました。

具体的にいうと、なにを食べるか、なにを着るか、なにを捨て、なにを買うか。そんなこんなについて、なるべくちゃんと情報を集めた上で、今の自分のよろこびだけでなく、持続可能性を意識した選択をすること。そんなことをやっていこう。

何度もそうすべきだと思ってきたことだけど…改めて、それらは「自分の暮らしとつながり」のためで、誰かや社会のためではないと認識して、やっていこう。

私はこれまで「社会貢献欲」と「自分の暮らしこそが私に満足を与えてくれるという考え」をうまく兼ね合わせることができずいたのですが、そうすけくんのおばあちゃんの話が思いがけないひらめきを与えてくれたのでした。

毎度のこと、伝えるためというより、自分の考えをまとめるための文章になってしまいましたが…ブログに関しても、自分のためにしか続かないので、今後もこんな感じで書けたらなぁ。

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