シェアハウスに住む、おんがく食堂店主池見優くんが「山菜とりにいってくるー」というので、同行させてもらった。2人の子をつれて。
いまここ、を、あじわう。
という言葉がぴったりだった。
竹田の山に、春
山の手前にあるひらけた場所。そこらじゅうにあるふきのとう。小さな花に、いろんな芽。
「これは、たけりすぎ」(ひらきすぎの意味らしい)
「しばらく探してると、目が慣れてきて、どんどんいいサイズのふきのとうがみつかるね」
「わ!はるも、ふきのとうとってるよ!」
4歳のゆきだけでなく、よちよち歩きの1歳のはるまで、ふきのとうをちぎってはビニール袋に入れている。
太陽が雲に隠れては、出て。草むらが灰色になったり、輝いたり。
私がふきのとう探しに夢中になってたら、はるが泣いてて。おねえちゃんのゆきが抱っこしてくれてる。
とれるかなーと思っていたつくしはまだでていない。
近くの町の臼杵では、山のようにでてきているらしい。やっぱり、竹田は寒いんだな。
頭と身体、両方
こういう時間を大事にしたい。とは、ずっと思ってること。
だけど、「山菜をとりにいく」なんて地味で。準備もめんどうだし。
だから、実は、山菜とりにいくためにでかけたのは今日がはじめて。
楽しかった。私は、考えることに慣れすぎてる気がする。動くことより、想像することの方が、ずっと身近。
あたまでっかちだなぁ。
あたまでっかちなままでもいいから、身体もそだてたらいいんだ。
土を歩くやわらかさを忘れないうちにまた行こう。