あけましておめでとうございます。
旅からはじまる2019年。旅が気づきをくれて、「こうありたい」というイメージがワクワクとわく仕事始めを迎えています。
旅行先で、最後の夜に書いたメモ。今読み返してみると、一つの記事のようになっているので、公開してしまおうと思います。
本当は、あまりにも自分がみみっちすぎて、恥ずかしいけれど。でも、私みたいに、みみっちさを抱える人は世の中に実は多いんじゃないかと思うから。
12日間の沖縄旅行。最後の夜のメモ
もう少しは自由に生きているつもりだった。こんなにもお金に執着していたのか自分は、と気づく旅だった。
平成最期の年末年始を、沖縄ですごした。12月26日から、1月6日まで。何泊になるんだろう、12泊か。2週間近く、家を離れたことになる。
そんなに長い旅となったのにはいくつか理由があるのだけれど、1つはその方が航空券が格段に安かったからだ。私と夫、娘2人の4人で往復約4万円。それが31日から3日など、帰省ラッシュにかぶると倍以上の値段になる。
そしていまは、その最期の夜。明日の朝、9時半の飛行機で那覇を飛び立ち、大分県竹田市の家に帰る。20度近い春の気候とはさよなら。町中が白く染まる霜の朝から始まる、凍える季節の現実に戻ることになる。
沖縄での時間は、結果的に、わたしにとってとても意味のあるものになった。
「結果的に」と、少し、含みのある表現をしてみた。というのも、旅のあいだ、わたしは何度も不安になったのだ。
「こんなにも、長い旅にでてよかったのだろうか」
理由は、お金だ。
旅をしていると、やはり目の前で、お金がでていく。
ホテル代、交通費、体験、食事。
高級リゾートホテルに泊まったわけでもなく、比較的手ごろな宿泊施設を選んではいた。
それでも、普段は払う機会がない支払いの機会が随時あり、どれを選択するか、毎回リサーチし、判断していくことになる。
わたしは、その度に、お金にとらわれた。
それも、不安感をともなって。
それが値ごろなのか、自分にとって払う価値があるのかを、冷静に考えることはなんの悪いことでもない。
私のお金への「とらわれ方」は、なんだかちょっとニュアンスがちがうのだ。
どうちがうのか。自分でも実はよくわからない部分があるのだけれど、整理するために言語化していってみよう。
まず、私がどんな気持ちになったのかを、具体例から振り返ってみようと思う。
これがベストだと一度判断したあとでも、何度もこれでよかったのかと繰り返し振り返ってしまう。
例えば
「一万円払ったけど、これはほんとに一万円の価値があったかな。こどもたちが騒いでて、ぜんぜんゆっくり見れなかったし。」
「あー!もっと安い宿あったのに。案外そっちの方がいい体験ができたのかもしれないのに」
「今日はダラダラ過ごしてしまった。こどもたちも疲れてたし、雨もふってたから、まぁいいとは思うけど。でも、せっかく沖縄にきてるのに、もったいなかったな。」
「今日はこんなに使ってしまった。私はいま、そんな稼いでないのに。この分、来年はちゃんと稼ぐぞ」
こんな、内部対話が私の中で静かに繰り広げられていた。
言語化してみると、、、なんてみみっちい。
私は、遊んだり、楽しい思いをしたい半面、自分のお金を守りたくて仕方がないのだ。
お金を使うこと自体に、罪悪感を持っている。だから、それが価値がある使い方だったという言い訳が欲しくなる。
でも、価値があるかどうかなんで、絶対的な評価はない。自分で一度はOKを出しても、気分次第で評価は変わり、これでよかったのかと不安になる。
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旅の間、不安になる度に、疑問だった。
どうして、わたしは不安になってるんだろう。自分で決断したし、なんの悪いこともしていないのに。
たしかにお金は使っているし、それはこれまでの貯金から捻出しているお金だけれど、それで私たちの生活が苦しくなるわけでもない。借金するわけでもない。
過去に、自分たちが働いたお金を使っているだけなのに。
私は、自分たちの貯金残高が減ること自体が、いやだったんだ。
それが、罪悪感だったんだ。
どうして?
いろんな理由があると思う。
お金を大事にしろとことあるごとに、教え込まれたとか。
お母さんが節約する姿をるみてきたし、自分も高校時代からアルバイトをしてお金を稼ぎ、お金を捻出してきたっていう過去もある。
でも、いま、直感で思った。私は、お金をどれだけ持っているかが、自分の価値のひとつであると思っている節があるのかもしれない。
人の価値はお金じゃきめられない。それは、もちろんそうだ。心からそう思う。
でも、「自分の価値の一部は、お金にある」。言語化してはっきり認識していたわけじゃないけど、そうも思ってきたんだろうわたしは。
そして、自分の価値のなかで、お金が占める割合は、意外と大きかったのかもしれない。
だから、お金が減ることを不安に思った。そうなのかもしれない。
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これを認識できたことが、私にとってこの旅の一番の収穫な気がする。
いやー。みみっちい。
やだもん。そんな自分。
第一、お金を使うときに生まれる不安な気持ちは、居心地悪く、しあわせじゃない。
なんのために生きているのか。なんのために働き、お金をかせぐのか。
お金をためるためなんかじゃない。
やりたいことをするためだ。
大好きな家族と、笑いあうためだ。
この旅、楽しいことをたくさんした。
やんばるの森。
シモネタばっかり言う、民宿のおじいちゃん。
同じ宿に泊まった人たちとの話。
斎場御嶽から見た海。
久高島のパワー溢れる青い海。
ともに新年を迎えてくれた優しい家族。
子どもたちをかわいがってくれる姿を見ていると、子どもたちのかわいさを再認識できた。
やんばるアートフェスタ。
ぐうぜん訪れたけれど、すばらしかった。
予定も詰めていなかったから、その時々の気分を大事にした。
やんばる木のおもちゃ美術館では、11時について、15時30分まで遊び通した。何度も帰ろうよと言ったけど、どうしても遊びたい!って遊び通した集中力に最後には感心。
そして、海。車で走るとすぐに見える海が、いちいちきれいで。生きているこの地球に感謝したくなる機会にあふれてた。そして、守るために何ができるか考えさせられた。
日常から離れ、泊まる場所、食べるもの、何して過ごすか、一つ一つ選ぶたび、自分と向き合うことができた。
宝物だ。
なんの後悔することもない。
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お金への執着に気づくことで、すこし、自分が軽くなった。海や、山に、なにかを置いていくことができた。
「手放しの旅」だったのかもしれない。