買い物をするとき、何を意識しますか?
「お買い得だな」とか「これ欲しい!」とか「転売しやすそう」とか、いろいろあると思います。
でも、誰でも自分の価値観を反映して、自分流の買い物の仕方を持ってるんだと思います。意識してないとしても。
私たちは、この週末、シェアハウスに残された大量のものをガレージセールで売りまくりました。楽しくも疲れた。でも「売ること・買うこと」「ものの価値」といったことへの発見にあふれた、本当におもしろい時間でした。
16万人がこの田舎町に。竹楽でガレージセール
この週末は竹楽という私が住む町竹田のお祭りがありました。
町中に二万本の竹灯篭が灯るとんでもなく美しい3日間です。
近所のおばちゃんが言うには土曜だけでも8万人の人出、3日間で16万人がきたとか。竹田市の人口がほぼ2万人なので、どれだけすごい人数かがよくわかりますよね。
そして今は、月曜日の午前9時。隣に、二人の子どもが寝ています。ふだんならとっくに起きている時間。竹楽期間は毎日夜更かしが続いたので幼稚園もお休みして、ゆっくりしようと思います。
竹楽では、私たちのシェアハウスでガレージセールをしました。売るものはもちろん、この物件に残されていた、大量のもの!
龍の置物
えびす様
シーサー
掛け軸
額縁
食器
布
壺、花器。
カメラ
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もう、挙げられないほどたくさんのものたち!!
▼どうして私たちがそれらを引き継ぐことになったかはこちらを。
値段設定どうしよう…なんでも300円に
竹楽に向けての準備はなかなか大変でした。2階・3階にあるものを全て1階に降ろしたはいいけれど、物が多くてすごい。
なんとか並べて、それっぽく見えるように。
売れるかな〜。
しかも、竹楽には市外からくる方が多いので、壺、食器、置物、家電など大物は売りにくそう、という心配も。(車も近くには停められず、送迎バスに乗らないといけない)。
で、値段設定です。
もうぜんぶ300円にしちゃいました。
時間がなかったし、安くても売るしかなかったというのが本音。
オーナーのお母様が集めてこられたというものたちは、1つ1つ本当にセンスが良くて、愛を込めて使われていたんだろうというものばかり。本当はこんな風に売っていいものじゃないのは百も承知です。
世界中を旅行されたのでしょう。スーツケースもいっぱい。いろんな国の品々。伝統工芸品もたくさん。
調べたら高そうなものだらけ。
例えば、ぐい飲み。木箱に入っていた説明書きからサイトを調べると1つ18000円だったり。
メノウの急須。石を扱っている方が「これは3万円でも安いな」と。
私たちにはものの素性をぜんぶ確認することはできないし、元の値段を調べ始めたらきりがない。
しかも、私たちがやりたいことは、小金稼ぎでもなく、骨董品を売ることでもなく、シェアハウスを作って、みんなで暮らしを楽しむってこと。
シェアハウスでも使い続けられるものはもちろん手元に残したけれど、それでも全部は使い切れない。
だったらもう、シンプルに、誰でも欲しいものは何でも買える!って場所にしようと思ったのです。
小金稼ぎを目指すんじゃなく、共有の場に近い、ガレージセール。
「明日もスリーコインズ行こう!」
そして、竹楽。
暗くなる前から、人がどんどんやってきます。
初日の金曜は雨で観光客が少なかったので、近所の方が多かったですね。
おじさん「ここ、何になるんや〜?」
私「シェアハウスにする予定なんです」
おじさん「え?」
私「あの、みんなで集まって住める場所を作るたいなと」
おじさん「あ〜。寮みたいなもんやな」
私「まあ、そうですねぇ!」
おじさん「こんなんもうっちょんか?」
私「はい。基本、ぜんぶ売ってます」
おじさん「…これいくら?」
私「ぜんぶ、300円です」
おじさん「え?」
私「どれも300円」
おじさん「なぁんでまた〜。あほでしょそれ。もっととらんと。ははははは〜」
こんな会話を何度したか。
「どれも300円」
と書いていても、まあ、信じられないですよね、ふつう。
でも、こんな飾り棚も。↓夫の正の後ろにあるやつ。ライトが付く。ガラスと鏡が多用されていていかにも高そう。
龍も、ほんとに300円で。
(あ、掛け軸と額縁付きの絵だけは1000円にしたり、本は20円だったり、コップとお皿は50円だったり例外もありましたが)
「何時間でもおれるわー」とずーっといる方
「また、きたよー」と繰り返しくる方もいっぱいでした。
例えば。
熊本からいらしたおじさん二人組は、1時間近く滞在して、骨董中心にお買い物。
セイコーの時計に、置物に、巨大な貝殻。
「これ、前月行った石垣島で2万円で売ってたのとかわらんよ。ほんとに300円?」とほくほく。
こんな貝殻が2万?とびっくりする私。これは売れないかな〜と並べるのをやめようと思ってたものでした。ははは。
知り合いの小学校2年生の男の子は「明日もスリーコインズ行こう!」と張り切ってくれたそう。
あんまり長くいてくれて、最後にはすっかり仲良くなり記念写真を撮らせていただいた方も。ちなみに女の子とご夫婦はここで初対面です。
その人が何を、どう選ぶかが、ほんとうにおもしろい
スリーコインズの店番をして、私は本当におもしろかったんです。
コミュニケーションが楽しいってのは、もちろんあるけど、それだけじゃなく。
ふつうとはちがう、物の流通の場になってたなと思うんです。
買い物をするとき、私たちはこの3つの項目を意識する(無意識?)んじゃないかなと思います。
- 市場での価値
- 値段
- 自分にとっての価値
この3つの関係が、他とはちがう場所だなと。
ふつうは、「市場での価値」と「値段」が、なんらかの形ででリンクしていたり、リンクしているようにみせられてたりするじゃないですか。
簡単に言うと、
普通は高いものには、高い値段がついてるし、安いものには安い値段がついてる。
でも、ここではぜんぶが300円なわけですよ。
明らかに、高いものも、安いものも。
しかもね、店番の私たちが、置いているものの価値を全くわかってない。これもおもしろかった。
おばちゃん「これ、何にできてるん?」
私「う〜ん。翡翠っぽいですけどねぇ、なんでしょうねぇ」
おばちゃん「これ、本物?」
私「全くわかりません」
おばちゃん「動くん?」
私「どうなんでしょう?コンセントあるので、試してみましょうよ」
ふつうなら、なんて店だ!でしょうけど(笑)
この店側が何の知識もないってことも、結果的におもしろいことになった。
値付けや、ラベル、うんちくや商品説明がないから、そのものが普通いくらくらいで売られているかは予想するしかない。その予想価格はひとによって本当にちがってくるんですね。
徹底的に「買う側がものの価値を決める場」になっていたんです。
買う側がものの価値を決めるお店
さっきあげた買い物する時に私たちが意識する3項目。
- 市場での価値
- 値段
- 自分にとっての価値
これもうちょっと詳しく考えてみると…こんなちがいがあるように思います。
■普通
- 市場での価値→提案や説明される
- 値段→市場での価値に応じてつけられたり、値引きされたりする
- 自分にとっての価値→自分で決める
■このガレージセールでは
- 市場での価値→自分で考える
- 値段→ものの価値に関係なく300円
- 自分にとっての価値→自分で決める
このガレージセールでは、徹底的に買う側に委ねられているんです。
だからこそ、きた方がものの価値をどこに置いて購入するものを決めるかが、なんともおもしろい。
「これ、もともといくらくらいやったんかなぁ?」と繰り返す方。
「これ好き!」と明らかに安そうな、プラスチックのおはじきを選ぶ方。
いくら安くても使わないと意味がないと、夫婦でじっくり相談する方。
買う行為が好きで、いろいろうれしそうに集めて、家族に「こんなんいらん!」と怒られながら買う方。
あらゆるものを持って「これ、重いな。きっといいやつや」と重いものを選ぶ方。
自分にとっての価値をわかってるひとはかっこいいし、買い物が楽しそう
いろんな方がオール300円で買い物をする姿を見ていて気づいたことがありました。
「ものにはもともと持っている価値がある」というイメージがいかに幻だったかってこと。
これだけ、ひとによってものに見いだす価値が様々だってことを見たらそうも思います。
誰かにとってのゴミも、ひとにとっては宝になるし、何万も出して買いたいものになる。
こんなエピソードがありました。
あるおじさんが、たくさんのものを購入していきました。が、家に飾ってみると「これは飾りきれん」と数品を返品しにこられました。
返品した絵を、再びお店に並べたところ、そこにやってきた向かいで店を出している草刈さんが
「これ、うちのじいちゃんが書いた絵。草刈樵谷の」と。
普通に10万円以上はするものらしいです。
そして、草刈さんがその絵を買っていかれました(絵と掛け軸だけは1000円にしていたので、1000円で)。
返品したおじさん、残念〜!!ってとこですが、でも、おじいさんの絵が、孫の手によって、こんな形で買い取られる。
なんだか、最高の瞬間ですよね。
なんにせよ、ものの価値を自分の側に持ち、市場や世間に影響を受けながらも自分で納得する買い物をしている方というのはすごくかっこいい。しかも、そういう方は買い物が楽しそうだなぁと思いました。
▼
「暮らし方の実験を」
これが、私たちのやりたいことです。
このガレージセールで「売ることと買うこと」の実験をひとつ、していたんだなぁと、終わってから気づいた私たちです。
そして、ずいぶんものも少なくなった!!
あとひと息。
ちょっと休んでから、また片付けです。