「こそだて」と「仕事」の両立。
きいたことがあるフレーズですよね。
もう一度書きます。
「こそだてと仕事の両立」。
この言葉から、どんな状態や生活をイメージしますか?
いやー。むずかしい。
だって、片方だけでも、満足や完成がないものじゃないですか。
どちらかだけでも、大変じゃないですか。
それらを、「両立」だなんて。
だれもできていないようなことを、多くの母たちは目指すべきだと思っていて、そしてできなくて自己嫌悪に陥っている気がします。
私は、目指そうとして、できる気がしなくて、育休から復職する前に会社をやめてしまいました。
でも、後悔はありません。「あ、無理かも」と思って言葉にしたことから、新しい道がひらけていきました。
そこにあったのは「こそだてビレッジ」という子連れでいけるシェアオフィス。これまで出会うことがなかった人たちとの出会いで、気づくと自分が変わっていっていた。
今日はその、変化の話をしたいと思います。
この連載は2017年5月に東京から九州|大分県竹田市に移住した市原家の移住日記です。
以前から田舎ぐらしに憧れてたわけでもなく、東京でずっと会社勤めしながら生きていくものだと思っていた私たち。どんな変化があって、この竹田にたどり着いたのか。妻の史帆が書いていきます。
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産後、ひとりで「ただ子育てをして」過ごす日々
前回の記事でも書いたけれど、私は、産後こんなんじゃいけない、と焦っていました。
仕事人間で、仕事で承認欲求を満たしていたので、こそだてだけをする自分に満足できず、それどころか不安でいたたまれないような気分になっていました。
不安をかきけすかのように、英語の勉強をしたり、ビジネス書を読んだり、サイトづくりをしてみたり、未来への投資の時間をかき集めようとしました。
でも、はじめてのこそだてまっただなか。夫のまさしさんは朝仕事に出て、日付が変わる頃帰ってくる。手伝いにくる両親もおらず。0歳児とひとりで向き合いながら、別のことをやろうにも完全にキャパオーバーでした。
そこで「こそだてだけで、他になにもしていない」罪悪感に、「やろうと思ってはじめたことを何一つ続けられない」罪悪感が上のせされてしまいました。
とは言っても日々をそこそこ楽しんではいました。娘を抱っこして、ひたすら散歩したな。3時間とか4時間とか、戸越銀座に武蔵小山、品川、五反田、目黒。胸で寝たらカフェにはいって、ちょっとでも自分時間を。そして、電車で帰ってくる。
でも、毎日夕方になるのが嫌だったのを覚えています。娘は不機嫌になるし、私もむしょうにさびしくなって。心の隙間を埋めるように、ジャンクなお菓子を爆食いして、あんなに歩いてカロリー消費したのに!やっちまったー!と思っていました。
子連れでいけるシェアオフィス「こそだてビレッジ」との出会い
そんなある日、「子連れでいけるシェアオフィス こそだてビレッジ」なるものがあることを知りました。
ネットで「こそだてビレッジって場所でイベントしたらすごくよかったよー」という記事を偶然読んだのです。
その日のうちに見学希望のメッセージをして、2日後にはまさしさんとともに見学にいって、その翌日から通いはじめました。
長女のゆきが、10ヶ月の時でした。
ひとりで子育てしていた私が、共同こそだてができるよう設計された場所へ飛び込んだのです。
こそだてビレッジってどんな場所
大塚の駅から、徒歩5分の場所。
大塚は、池袋のとなりの駅。新宿から電車で12分と便利だけれど、商店街や神社、昔ながらの飲食店がのこり、下町的な雰囲気がある町です。
7階建てのビルの、5階、6階、7階がシェアオフィスになっていて、そのうち7階が子連れでいける、親子のための空間になっていました。ちなみに6階は、フリーアドレス制。5階は個室のシェアオフィスです。
目の前には都電が走っていて、脇にはバラが植えられていて、季節になると香りをかぎながら歩きました。
親子のための空間として作られた7階、こそだてビレッジは、こそだて中のわたしたちにうれしい工夫だらけでした。
カウンターキッチンがあって、ちょっとした調理ができる。
ごろ寝できるスペースがあって、添い乳しながら寝かしつけ。そのまま眠ければ自分も寝られる。
仕事をするデスクから、こどもが遊んでる様子が見られる工夫も。
こどもたちの泣き声や笑い声が気になったとき、ちょっと腰を浮かすだけで、様子を見ることができます。
全体の雰囲気もよくて。やさしい色味にまとめられてて、落ち着くんですよねぇ。
新しい、生活のリズム
そこへ、私は週に4日、通うようになりました。
ほぼひとりで過ごしていた日々から、ひととともにいるように。
ずっと娘と離れなかった日々から、おとな時間が定期的にもてるように。
これだけで、どれほど救われるか。
具体的な生活のリズムを言うと。
朝は、夫のまさしさんと一緒に出発します。家は品川区の中延(途中でとなり駅の馬込に引っ越しますが)。
まさしさんがゆきを抱っこして、私がバックとベビーカーを持って、電車に乗り込みます。
五反田で山手線に乗り換えて、途中の新宿でまさしさんは下車し、会社へ。そこから10分で大塚駅。
家からこそだてビレッジまでは、ドアツードアで1時間はかかりました。
こそだてビレッジのスタートは10時。12時までの2時間は、託児タイム。親たちは、6階のフリーアドレス制部屋に行き、2時間、自分の時間を過ごします。こどもたちは、保育士さんたちとお外に遊びにいきます。
12時に、7階に戻ってきて、こどもたちと再会。親も子もスタッフもみんなでごはんを食べます。お弁当を作ってくることもあれば、買いにいくこともあれば、みんなで料理することも。
私の兄は広島で無農薬で農業をしているのですが、その野菜を取り寄せて、料理に使うこともありました。
ランチのあとは、見守りタイム。子ども達、保育士さん、親たちが同じフロアで過ごします。
こどもがうまいこと寝たときはガッツポーズ。寝なくても、保育士さんたちが用意してくれるアクティビティ、ねんどだったり、おどりだったり、お絵かきだったりにハマったときも、自分時間に。
ママといっしょがいい~ってときは、あきらめて、一緒にあそんだり、本を読んだりして過ごします。
※いま、こそだてビレッジは保育時間のすべてを英語で過ごす、イングリッシュプリスクールにうまれかわっています。ただそこでの、助け合いの理念やコミュニティの存在は変わらずあります。
育休中のわたしが、していたこと。育児の情報サイトをつくってみた。
ここで私がなにをしていたか。育休中なので、雇われてする、会社の仕事はありません。
「いくじの窓口」という育児の情報サイトをつくっていました。
お仕事として、というわけではなく。うーん。あれは趣味だったのでしょうか。いや、なんらかの仕事につながったらいいなぁという思惑はありました。でも、それよりも、こういうサービス、サポートがあればきっと助かるひとがいる、何か価値があることがしたい。そんな想いがメインでした。
自分で書いた記事が多いのですが、こそだてビレッジで知りあったひとたちにもお願いして記事を書いてもらったり、インタビューや対談をして記事にしたりもしていました。フリーランスの保育士、育児アドバイザー、遊びの専門家、読み聞かせのプロ、産後の身体のメンテナンスに詳しいひと。いろんな知識を持ったひとが集まっていたので、自分が想像した以上におもしろい記事ができあがっていきました。
こそだての「すべき論」を打ち消したかった
とはいえ。そもそもなんで、子育ての専門家でもない私が、そんなサイトを作ろうとしたんでしょう。今、振り返ると「まじでなんで?」というとこなんですが、当時の私は大真面目。
子育て中の自分が、こんなのがあったらいいなぁというサイトがみつからなかったんです。
サイトのテーマは「いくじにチョイスを」というもの。
こそだてに、正解はない。あるのは、いくつもの選択肢。どれを選ぶかは、自分次第です。
ただ、自分自身が子育て中に出会った情報の多くは、あたかもそれが「正解」で「すべきこと」のように語られていることが多いように感じていました。
私は、根がてきとうでめんどくさがりなくせに、優等生願望が強いので、そういった育児の「すべき論」に振り回されては、疲れていました。でも、もうちょっと調べたら、また別のぜんぜんちがう正解がでてくるんです。
調べていくと、一つのことに対して、いろんな方法がでてくる。でも、それは、ちゃんと調べないと把握できない。
産後間もなくの身体が回復していない母親が、こそだてしながら情報収集して、取捨選択するって大変なことです。
どれが正解なのかわからず、いま自分がしているのがまちがっているような気がする。いま目の前で赤ちゃんが泣いているのは、自分のまちがったアクションのせいなのかもしれない。そんな不安を覚えたのは、私だけではありませんでした。
なら、はじめから、時に相反するような考え方も、両方を選択肢として紹介して、それぞれの考え方、根拠、メリットやデメリットも紹介する。自分の価値観に応じて、やり方を選べる。そんなサイトがあったらいいのに!と、思ったのです。
そして、チャレンジとして、つくってみたのが、このサイト。
自由でいていい。そのまま自分へのメッセージに。
家でひとりで、つくり始めたところ、こそだてビレッジにいき、同じように、こそだてする母親を応援したいと考えるひとと出会うことができ、想いを共有し、あーだこーだ、語り合うことができました。
それが、わたしにとって、めちゃくちゃおもしろいことだったのです。
今振り返ると、サイトを通して送っていた「自由でいてもいいんだよ」「正解はない、ただ自分でいいと思うことをすればいい」というメッセージはそのまま自分に届けたい言葉でした。育児という枠をこえて、生き方として。
ひとりで考えるのではなく、話し合うことで、そして文字にして発信し、共感の言葉をもらうことで、その考えは強められていきました。
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そんな日々を送っていた私の中で、ある想いが強まっていきました。
「ほんとうに、会社にもどるのか?」
「会社にもどりたくない…」